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川の向こう側

「もうすぐ七夕ですね。今年の…」
テレビから流れる、そんな話題を耳にした娘と、七夕飾りを作ることになった。
一度やり始めると凝ってしまう性分故、案の定と言うかなんと言うか、途中で材料が足らなくなる。
「ナナちゃん、暑いけど、色紙買いに行こうか」
「行くー」
母娘二人、日陰を選びながら橋を渡る、夏の空の下。

「ママー、これも買ってー」
「お菓子は一個だけだからね」
「髪の毛のゴムは?」
「それも一個だけよ」
安くなったものだ。私が子どものころは、100円ショップなどまだなくて、100円で買えるものは数が知れていたというのに。
「あ…」
棚に、懐かしいものを見つける。
学生時代、よく買っていた焼き菓子。
毎週毎週、これを買っては差し入れをしていた。あの人に。
恋人と呼ぶにはあまりにも遠く、友達と言うにはわずかに近かった同級生。
私が差し入れるそれを、いつも1週間で食べきって、空になった容器を部屋の隅に積み上げていた。
「片付けないの?」
「散らかしてはいないよ」
そんな会話を繰り返しながら、私は彼の元へ通い続けた。
いつも同じ箱を持って。
友達には、何度も聞かれた。
いつまで続けるのか、と。
友達以上になれるまで続けるつもりなのか、と。
自分が何と答えたのか、今となっては思い出せない。
続けていれば、いつかは恋人と読んでもらえる日が来ると、信じていたのかもしれないしそうではないのかもしれない。
もう、済んだこと。
学生時代の友人とも、ほとんど連絡を取っていないし、彼とも年賀状のやり取りがあるだけだ。
今更考えたところで、どうにかなることではないんだから。
「ママー、どうしたの?」
娘に手を引かれて我に返る。
「大丈夫よ。さ、お金払ってお家に帰りましょうね」
少し考え、思い出の品をかごに入れる。
「ママもお菓子は一個だけ、ね」
「ママえらいのー」
帰る道すがら、織姫と彦星の伝説を語って聞かせる。
天の川が二人を分けたこと。
七夕は年に一度、二人が会うことができる日であること。
話しながら、川と言う言葉から三途の川を連想する。
「縁起でもない…」
口に出しかけて、ふと思う。
賽の河原の子どもたちは、罪を償うため、ひとつふたつと石を積むという。
私もそうだったのかもしれない。
友達ではいられなくなり、それでも恋人にはなれないような、そんな罪。
それを自覚して、彼の元へ通う。
言うならば、贖罪。
賽の河原で子供たちが積み上げる小石の如く。
ひとつ積み、ふたつ積み、見えない誰かに許しを請う。
自分がしたことを許してもらえるように。
彼がしたことを許せるように。
彼もまた、賽の河原の子どもだったのかもしれない。
積み上げることによって、私と、自分自身を許せるように。
「ママー、たなばた晴れるかな?」
「どうかしらね。帰ってきたら、パパに聞いてみましょうね」
七夕が来る前に、学生時代の友人に、連絡をしてみよう。
できれば、彼にも連絡をしてみよう。
今なら、許せるかもしれない。
お互いを。

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