Jun 5 , 2010
鶏のねぐら 前編
short long story
信号待ちをする人影に驚いて足を止める。
「なに?」
「なんでもない。行こう」
「また幻でも見たんでしょう?懲りないわね」
「うるさい」
何事もなかったように行き過ぎる。言われたことは、そのものずばり、だった。
「いい加減になさいよ」
「うるさい」
私はよく、『幻』を見るのだ。
「本当にみっともないって言ったらない」
「うるさいうるさいうるさい」
信号待ちの人に。コンビニのレジに。つり革に摑まる乗客に。
「いい加減に忘れなさいよ、あんな恋」
「うるさいって言ってるでしょう!」
過去との決別は私だって望んでることなのに。
「・・・この人格破綻者が」
「何ですって?」
「人格破綻者って言ったのよ。このメンヘラ」
体中がカッと熱くなる。
「分かってるそんなこと。あんたに言われる筋合いじゃないし、大体その取り澄ました態度が気に入らないんだよ」
「よく言うわね。自分の妄想であたしを創り出しておいて」
「・・・っ」
『あたし』はいつも、一番言われたくないことを口にする。何もかもを見透かしたような態度で、実際見透かされているけれど、一番効果的なタイミングで言ってくる。
「よくある顔、なんじゃないの」
「あっはは。それ傑作ね」
「・・・」
随分前に惚れた男の幻を、街中で時折見かけるようになって、どれくらい経つだろう。赤の他人と見紛う度に驚いてしまう。終わったこと。今となれば思い出。未練なんかない。それなのに。
「彼氏に逃げられるわよ」
「う・・・」
未だに呪縛から逃れられないのは何故なんだろう。
「あ、ケータイ鳴ってるわよ」
ポケットから振動が伝わってきた。
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