June 2011

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誰よりも純粋で、誰よりも残酷な君に -line-

1.
インターフォンに指をかけると、ピンと高い音がした。そしてたっぷりと時間を置いてから指を離し、ポーンと言う音を聞いた。
スピーカから受話器を外す音が聞こえ、更に1分してから玄関が開いた。
「…。タカシにとっては単なる幼馴染以上の関係じゃない私に何か用?」
「ちょっとでいい、話をさせてくれ」
俺は頭を下げた。
「入って」
顔色一つ変えずにそれだけ言うと、咲月はきびすを反した。

2.
「珍しいじゃない。タカシが家に来るなんて」
折りたたみ式の背の低いテーブルにグラスを並べながら咲月が聞く。
「ま、たまには」
「あ、そうだ。これなんだけどね」
なんでもないことのように言って引き出しを開ける咲月は、けれどもさっきから俺と目を合わせようとしていない。
「咲月、何かあったのか?」
「えっ?何が?」
俺が訪ねると、咲月は驚いたような顔をした。
咲月は昔から、何か気にかかることがあると、ふっとうつむく癖があるのだ。
「なんでもないよ」
「そうか?話したほうが楽になることもあるぞ」
すると、咲月は考え込むような仕草をして、俺の顔を見て、また考えて。
そして。
「あのね、実はすばるちゃんが…」

3.
その夏の日、咲月は昂の家を訪ねていた。
それは、以前と比べて頻度は下がっていたものの、そんなに珍しいことではなくて。
「すばるちゃん、ピアノ弾いて」そんな風に咲月がせがんで。
「もう何年も弾いてないぞ」といいながらも昂はピアノに向かって。
咲月は何も言わずに昂の後ろに立ってそれを聞いてて。
昂は3ヶ月前に好きだと咲月から告白されたことを思い出して。
そのまま明確な結論が出せないままそれまでどおりの距離を保っていることを思い出して。
そのとき咲月が昂に抱きついて。
昂は何か言おうとして、結局何もいえなくて。
咲月は黙ったままでいて。
ただ、少し前に読んだwebコミックのことなんか思い出したりして。
「離れろ…。欲情、しちまうだろ…」と昂は何とかそれだけ言って。
「…。好きに、したら良いよ」と咲月は答えて。
気がついたら昂のベッドの上で、咲月が下着を直してて。
昂は何を言っていいのか分からなくて。
それでも何か言おうと思って。
そんな風に、まるで他人事のように6ヶ月前の出来事を思い出していたら、唐突に自分の声が蘇った。
「咲月、いい加減すばるちゃんはやめてくれ。俺の名前は昴(すばる)じゃなくて、昂(たかし)なんだ」

4.
「ねえ、タカシ。これ覚えてる?」
前と訪ねたときと同じテーブルにカップを並べ終えた咲月が静かに口を開いた。
そして立ち上がると棚に飾ってあったウサギのぬいぐるみを抱きかかえる。
「すばるちゃん・・・」
「そうよー。ウサギのすばるちゃん。ずっと前にタカシがくれたの。わたしね、すばるちゃんが大好きだった」
そういうと咲月は、いとおしそうにぬいぐるみに頬を寄せた。
「タカシ(昂)が私にくれたウサギ(卯)だからすばる(昴)ちゃん。ちょうどタカシが、すばるちゃんってあだ名を付けられた頃だったね」
咲月はウサギを抱いたまま、視線を目の前のカップへと移した。
「私はすばるちゃん、じゃなくてタカシのことが好きだったから、すごく嬉しくって。ずっと大事にしてたの」
「咲月」
俺はこらえきれなくなって、咲月の話を遮った。
「咲月、ごめん。この間、って言っても6ヶ月も前のことだけど、本当にごめん。あの時は、俺」
「どうかしてたの?」
咲月は変わらずウサギを抱いたまま、俺を見据えていた。
「どうかしてたから、あたしの誘いに乗ったの?どうかしてたから、あたしとセックスしようとしたの?どうかしてたから、単なる幼馴染のあたしと…。正気に戻ったから、結局何もしなかったの?」

5.
6ヶ月前の夏の日、咲月に後ろから抱きつかれて、背中に咲月の感触があって、こらえきれなくなって、咲月は拒まなくて、そのまま二人で俺の部屋に行って、咲月がベッドに横たわってて、けれども結局、俺は服を脱がないままで。
咲月は何も言わないままで、黙ったまま下着を着けて、ブラウスを着て、スカートのしわを引っ張ると、そのまま帰って行って。
その1ヶ月後に咲月に会ったときに
「咲月は、これまでもこれからも、幼馴染だから」
そう言って。
それから咲月とは会ってなくて。
それを、ちゃんと謝ろうと思って咲月に会いに来て。
それなのに。
「タカシ」
返す言葉を必死に探している俺に、咲月が先に言った。
「あのね、タカシの声が掠れてて、それが色っぽかったとか、あの、ごちそうさまといわんばかりの表情とか、何度もあの日のことが夢に出てきたとか、そんなことはどうでもいいの」
「咲月…」
一息にそう言った咲月は、ウサギを力一杯に抱きしめている。
「咲月、ごめん。本当にごめん。償いだったらなんでも」
「いらない」
咲月はうつむいたまま吐き捨てるように行った。
「償いって何?今更付き合ってくれるの?同情なんていらない。私は、そんなすばるちゃん、好きじゃない」
「…。ごめん」
「すばるちゃん」
咲月は立ち上がった。
「何が問題なの?たいしたことじゃ、ないじゃないの。あたしはすばるちゃんの幼馴染だよ?それは変わらないよ。何があったかが問題じゃないんだよ?大事なのは、あたしとすばるちゃんは幼馴染で、あたしはすばるちゃんが好きだったってことだよ。分かった?分かったなら帰ってくれないかな。もう、疲れちゃったよ」
最後のほうは声が震えていた。うつむいている背中は、泣いているようだった。
「ごめん、帰るよ」
俺は立ち上がった。部屋のドアを開ける。
「タカシ」
咲月はこちらに向き直ると、ウサギの手を振った。
「マタネ、タカシクン」

(終)

最後まで読んでくれた奇特な方はこちら
解説的あとがき(ネタバレ注意)があります。

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