いのち

最近、少しだけ、いのちとの関わりがある。
ヒトが死ぬとか
ヒトが生きるとか
考えさせられる出来事が、直接じゃないんだけど、
聞いたり、見たり、
わりと近しいところで、つきつけられたり、
物語で読んだり、
する。

何のために生きてるんだろうって、
今まで考えたこともないようなことを、
いや、普段も考えたりしたんだけどすぐやめたりする。
ことを、割と長めに考える。
わからんけど。

自分が楽しいため?
相手がうれしいため?
それは自己満足?
じゃぁ自分のため?

ヒト(もしくは何か他の存在)のためなのか自分のためなのかすらわからん。

たまに言ってるヒトがいるけど、
実は今現在だって壮大な夢を見続けてるんじゃないかとか、
自分以外はすべて決まった活動をしているんじゃないかとか。
僕はこれは案外納得してる。
でもそれってやっぱ自分のために生きているってこと?
もし本当に自分以外は生きていなくても、
ヒトや動物の生き死には、
感動的で、残酷で。
こんなに、
感動的で、残酷なんだから。
何か感じずにはいられないから、
やっぱヒトのために生きているってこと?
でも、
感動的で、残酷だと感じるのは、
自分。

最近は仕事が忙しくて、ちょっと辛い時もある。
そんな中で自分を保つために少しでも趣味をする時間とってバランス取ってる。
家族と元気に過ごすために仕事して、仕事で大変だから趣味でバランスとって、もちろん家族との時間も欲しいし、じゃぁ自分の休む時間は?って。
でもまぁこういう事考えるのは生活には困っていない証拠で。生きてる。

わかんないので、
今のところの考えは、
なんのために生きてるかなんて、
分かんなくていいのかなと思うことにした。
分かんなくていいというよりは、なんのためだっていいと。
自分のためだって、誰かのためだって、いいと。
その何かが時々刻々と変わっても、一生通して貫き通さなくても、
揺れても、ブレてもいいと。

そう締めくくろうとして感じたのは、
そう思うことにした自分の今の気持ちは、割と、自分のため。
なんだなと。

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